鈴木 謙介(charlie):
このパートからは僕の隣りには永田先生に代わって矢野利裕君が。

矢野 利裕:
よろしくお願いします。

鈴木 謙介(charlie):
矢野君が来たのでこのメール読もうかな。ラジオネーム・月夜のワンワン、35 歳、男性、公立高校の先生だそうです。東北のかたですね。「学校ではコロナ感染の第2波、第3波に備え、オンライン授業ができるよう準備を進めています。つい先日生徒に1人1台ノートパソコンが支給されました。練習も兼ねてまずは学校内でオンライン授業をしてみることになりました。ところが授業をする以前の段階で生徒から質問が殺到。登録方法が分からない。どこをクリックするのか分からない。電源の落としかたが分からない、などなど。嘘だと思われるかもしれませんが今どきの高校生はパソコンの使いかたを知りません。その日は臨場性たっぷりにオンライン授業を実施するというなんとも皮肉な内容となってしまいました。また学校には発達障害の生徒やオンライン授業だけでは学習内容を理解できない生徒もいます。そばに教員が付いていないと集中力が持たなかったり、学習進度に付いていけなかったりします。もちろん臨場性がなくても一部の生徒たちは自分の力で学習を進めることができるでしょう。ただし、それは私から見ると『できる生徒』なのです。メディアではオンライン授業の利点ばかり語られがちですが、私には何だか乱暴な話に聞こえてなりません。臨場性が必要な生徒にどう向き合っていくか、これからの1つの課題だと思います。」

ということで、矢野君も教員としても教えているわけですが、多様性の問題だとかそれからスキルの問題だとか現場はそっちよね。

矢野 利裕:
そうですね。今のメールは同業者として共感しきりって感じで、本当に最初から最後までって感じですね。「できる生徒」ってことで、オンライン関係の話に限らず、どちらかというと批判的に教育を語られるときに、できる生徒目線の、できる生徒の視点からの教育批判ということが多くて、実際もっと多様性に満ちてるって当たり前のところが伝わらないことにはもどかしさがある。

それと、今日の臨場性の話ですけど、基本的に僕は評論的な活動とかライター的な活動とかも言葉を紙に出して伝えるっていうことをやってますけども、僕のリアリティーとしては自分の言葉を、同じ言葉でも言葉を信じて――「信じてもらう」って危険な言葉ではありますけど――同じことをしゃべっても、「俺が言ってるから聞いてくれるよね」っていうとこに持っていくっていうことの重要性をいつも感じていて。それがない正論が腹立ってきたんです、最近もう。

鈴木 謙介(charlie):
分かるけど、すげー分かるけどね。

矢野 利裕:
逆にそういうことがなくても、そういう言葉を使える人っているから、そこは僕は言葉の身体性みたいな感触でイメージしたりしますけども。

実際に巻き起こっていること、あるいは僕の身の回りで起こっていることっていうのは、同じことを信用されるための言葉を発するまでの振る舞いとか関係性とか、あるいは身体的な所作っていうものがものすごい問われてるし、逆に舌がもつれたら一発でおしまいっていう緊張感とか。

僕部活とかもやってるから、部活で怒るときもあるじゃないですか。こっちも一緒に動いてるから。なぜなら一緒に動いたほうが信用されるから。でも一緒に動いてるから疲れてるんですけど、叱るときにめっちゃ噛んだりすると説得力がないんですよ。そういうのまで含めて言葉だから、そういう側面が学校にはあるみたいなことを考えていて。そういうことも今本に書いたりとかしようとしてる最中での、このオンライン授業みたいな話なんで、いろいろ考えることがありました。

鈴木 謙介(charlie):
近内さん、今の話聞いててどうですか。

近内 悠太:
予備校とかで教えてると一部のところでは完全に授業を1ヶ月ぐらい完全に停止して、その分どっかで授業回数のできるときに増やそうと変えたり、あるいは動画を収録して生徒が YouTube から授業を受けれるようにっていう。でもこれは比較的僕の職場のいくつかのところではスムーズにできたのって、情報伝達って側面が強いとできてしまうところなんでしょうね。受験のノウハウを指導するっていう名目のもとだから違和感なくできてしまう。

なんだけど、この授業を受けたら知窓学舎なり教室なりが自分の居場所に――生徒はそこまで言語化できなかったとしても――「ここにいる」っていうのが心地いいみたいな、そういう関係性を立ち上げたりするっていう面では、どうしてもできてなくって。授業では最低限、情報伝達っていうところまずうまくやろうっていう。

鈴木 謙介(charlie):
今の話で見えてきたのは――さっきもちょっと近内さんに言いましたけれども――教育のなかでも市場の関係性――交換ですね。お金とテクニックを交換するっていう関係性でできあがる関係性は、関係する理由が明確。だから1回明確に橋を渡したあとで、その橋をぐっと広げて、「これもあれも受け取れたよ」「与えたよ」みたいな関係っていうのを作っていく。つまり贈与の橋が1回渡っている、市場経由で。

ところが公教育、中学・高校なんていうのは「行かされてる」っていう気持ちの子も多いから――もちろん塾のなかにも行かされてるって子はいっぱいいるけど――まず橋を渡してないと。橋を渡してないとどうなるかっていうと、相手との関係性のなかで例えば最初に贈与的な関係で、向こうにこっちから持ち出しでいっぱい関わって相手からなんか返ってくるように、それもいろんな角度から作っていかなきゃいけないってことだと思うんですけど。

そのときに今日新しいキーワードとしてさっき正論みたいな話が出てたんですけど、「責任」っていうことが結構関わってくるかなと思った。

僕もこのへんに関してはこの3ヶ月、1日に 30 回ぐらい「大人嫌い」って言い続けてるんですけど。括弧付き「大人」の人たちは責任を一切取らない正論を言うんですよ。「こうするべきじゃないか」とか「何でこうなってるんだ」って言うんですけど、「じゃあ、それ改善するときは、あなた動いてくれますか」みたいな人が大体そういうことを言うんですよね。

そういうことを言った人の影響で決まったことを、うちが現場で全部作らなきゃいけないことっていうのは多々ありまして、最近。すごい勢いでもう本当に毎日毎日「大人嫌い」って言ってるんですけど。いろんな生徒とか大学院生ぐらいの人に、「でしょうね」って言われるんですけど。

矢野 利裕:
それも本当に共感するところで、僕が言ってることはある種の危険性と隣り合わせだなって思っているんですけども。オンラインで気が楽になってる人とか救われてる人がいるのは事実で、それは良くも悪くも情報伝達でいいところをそれに上に乗っけてるからですよね、僕みたいな。うざい人がね。

うざいって言われる可能性もあって、こっちは心を込めていろいろやってるつもりですけども、その心を込めるってのも危険だなと思いながらもやるわけですけど。その臨場性と身体性の近さがあるぶん、ハラスメントの問題にも発展する可能性だってあるし。

教室入るときとかは、授業 50 分なら 50 分、それは動画配信のときでもそうでしたけど、そういうときは僕は芸人の振る舞いを参考にしたところがあって。教室のなかに「訪れ」としてやってきて、来訪して、引っかき回して帰っていく、そういうモデルを考えるんですよね。それがどこまでオンラインでできるかとか、そういうことを考えますよね。

鈴木 謙介(charlie):
2つ今出た論点を何とかしたいんだけども、最後に出たやつっていうのは、教室っていうのは「隣りのクラスに入れない」問題で、そこに居場所のある人間っていうか、そこにいることを許されているクラスの人間にとっては教師がいない時間が平常で、教師がガラガラってやってきた瞬間に平常じゃなくなって、身構えなきゃいけなくなる、っていうつもりでそこに入るべきであって。一部の大学教員がそうであるように、「俺が入ってきたからには当然みんな俺に注目すべきだろう」みたいな、そういう態度では困るという。

近内 悠太:
「お邪魔する」というか。

鈴木 謙介(charlie):
「お邪魔する」という。中高はたぶんそうだと思う。大学は教室も違うんで、そのへんはまた別のテクニックが求められるけど、その話はその話ですっごく面白くて。要するにオンラインに逆に日常の場所を作ってから、「訪れる」っていうのも不可能じゃないからと思ったんだけど。

それとは別の前に話してた論点が、今日の臨場性とかさっき言った責任とかの話と関わってくると思うんですけど、僕自身今日のテーマを立てるときに葛藤があって。僕も矢野君以上に暑苦しい人間なので、「臨場性っしょ、身体性っしょ」みたいなところはないわけではない。

が、コロナ以前からそういうのも無理な時代かもしれないって、ひしひしと感じていて。各種調査を見ても、若者は友人との関係もベタベタせずにできる限りドライにっていう答えは増えているし、教育っていうものについても「いやもう、市場の関係性でいいですけど」みたいな。「それ以上の関係性とか別に求めてないんで」みたいな。求めてないというのは、要するに間に合っているってことだよね。まったくそういうのを経験していない子に「そんなに熱心に教えてもらえたことなかったです」っていうんだったらいいんだけど、「いやもう間に合ってるんで、大丈夫っす」みたいな。

その「間に合ってる」も、僕らの昔の価値観からすると「え、それで間に合うの?」みたいなことだったりもきっとしていて。「臨場性がなくなってめっちゃ助かったですけど」っていう人がこれからマジョリティーになる可能性はあると思っているのは、さっき「オンライン授業の利点ばかりが語られますが」っていうふうに書いてあったんですけれども、実際大学の先生の間でも大教室といういわゆる情報伝達が主になってしまうような、もともと大して臨場性もいらなかったようなものについては「もうずっとオンラインでいいじゃない?」って言う人もいて。

もしかすると本当に臨場性が必要な場面は教育においても仕事においても全部あると思うんだけど、「いや、マジでもういらないっす」っていうところも多々ある気がしていて、その線引きがこれから大事になってくるだろうじゃないかと思ったんですよね。

1通メール読ませてください。ラジオネーム・八五郎、男性、練馬区。「対面でないとできないこととリモートで十分なことの線引きですが、結局はその会話に感情が必要か否かということではないでしょうか。例えば愛の告白や冠婚葬祭の席、仕事上でも取引先への謝罪など、言葉だけではない発言者の身体からにじみ出てくるような感情が必要な場面では、直接会って会話するほうがより効果的に真意が伝わるような気がします。逆に仲間うちでの飲み会や仕事でも定例の会議や打ち合わせなど、必要以上に強い感情が求められない場面はオンラインでも十分なのではないでしょうか。」

ということで、特にテーマとか縛ってるわけじゃないので、どのへんに線引きましょうっていうのをみなさんの実感とか、関わっておられる現場から――今スタジオにいないかたも含めて――どしどしっていう感じなんですけど。まずは矢野君からいこうか。

矢野 利裕:
ひねった意見になっちゃうかもしれないですけど、情報伝達とか等価交換的なものがあったとして、それが何に支えられてるかっていうことばっか考えちゃうというところがあって。二項対立化が発想的にできないっていうのが最初からひねった意見になっちゃうんですけども・・・。

鈴木 謙介(charlie):
二項対立化できないというのは、何かの条件があってオンラインだったりオフラインだったりしてるってこと?

矢野 利裕:
そう、情報伝達するときに、それを僕は身体的な近接性に求めてるところがあるから。例えば若い世代のかたたちが、「この距離でいいんで」っていうふうに言ったとしても、これが成立するために何を整えるかという発想なんかしちゃうんですよね。

鈴木 謙介(charlie):
なんか分かるような分からないような、ギリギリのところだな。相手との関係性っていうのは何かの形で必要だから、必要ななかで相手が「この距離でいいんで。」って言っているものに「その距離じゃ良くない」をどうやって増せていくかみたいなことを考えちゃうってこと?

矢野 利裕:
相手が「この距離でいいんで。」「分かりました。じゃあそれを実現しましょう。」っていうときに、その距離に留まらない何かを働きかけているなという感触があるから。ちょっと抽象的で申し訳ないですけど。

鈴木 謙介(charlie):
なるほどね、なんとなく言いたいことは分かる。こっちから押し付けでグイグイいうウザさは、僕も嫌だな。

矢野 利裕:
暑苦しさとかウザさとかは、なくならないと思ってるわけじゃない、僕は。

鈴木 謙介(charlie):
なるほどね。それはコントロールしてるわけだから。

矢野 利裕:
まあそうですね、コントロールは。

鈴木 謙介(charlie):
ある程度はにじみ出てはいるんだと思うんですよね、佳奈女さん。

村山 佳奈女:
私は会社で働いてるんですけど、っていう観点ですごい近しい感覚のかたのメールがあったので、読んでもいいでしょうか。

恵比寿のペンペンさん、奈良市。「4月の頭からうちの会社ではテレワークを導入し始めました。結論から言うと社内の仕事はリモートでほぼすべてができるということが分かりました。細かいことを言えばネット環境がどうとかありますが、それは過渡期と思えばそこまで不便するものではありません。しかし4月からの新人や異動してきた上司など、今までの日々の仕事のなかや歓迎会で顔を覚えたり、どういった人となりかを知ってこれたのが、3ヶ月経ってもいまだ顔が分からない人も多いです。仕事は必要最小限でまわってはいるものの、他部署の人事交流など仕事の遊びの部分が急速に失われていっているように感じています。このことが今後にどういった影響があるのか分かりませんが、人と人との交流が少なくなり先細りのようなものを感じています。」的な。

鈴木 謙介(charlie):
1通似たメールが番組中にいただいたので、そっちも読ませてください。ラジオネーム・ウイングビート。「私が対面じゃないと難しいと感じたことは新人の勧誘です。うちの会社の労働組合は加入が強制ではなく任意のため、新入社員が集まる会議のあとに少し時間をもらって説明をして入ってもらうということをしてきました。しかし今年はリアルに集まる機会はなく、オンライン説明会ではそのような、ある説明会のあとに関係ない説明会の時間を取ってもらうという、言ってみればややグレーな運用をすることができないため、ここまで勧誘がうまくいっていません。もちろんそういう運用に限らず今後は正々堂々告知して単独の説明会を開けばいいという正論はありますが、労働組合の組織は働いたことがない人には価値を感じてもらいづらいという面があります。そのため予告編で触れられていた、リアルに人に会うことの暴力性のようなものを利用してひとまず入ってもらったあと、会社の業績の浮き沈みがあるなかでその価値に気付いてもらうという従来のやりかたをうまく変えられるのか、今のところは分かりません。ただすぐには価値を感じられないものの、いずれ感じられる可能性が比較的高い組織に浅い理解のまま入るという意味では暴力的とも言えますが捉えかたを変えると、東浩紀さんの言う『誤配』の機会を失っているとも言えるのではないでしょうか。在宅勤務が長期間化や常態化したときに、これまでの会社で起きていたさまざまな誤配をオンラインで代替していけるのか、今後も観察していきたいと思います。」

ということで、このお話は難しいよなと思いつつ、野村さんがこの話を受けたいということなので。

野村 高文:
すいません、ありございます。これ、思った以上にスタジオの外からカットインするのは難しいですね。

鈴木 謙介(charlie):
大丈夫です。拾いました。

野村 高文:
すいません、ありがとうございます。

たしかに、新人の育成じゃなくて新人の勧誘っていうところでメールをいただいたのは、なるほどなと思ったんですね。仕事をするうえで、だいたいの仕事って上司から「お前はこれをやれ」って言ってアサインされる仕事なんですけど、たまに「なんか興味合うから、一緒にやってみない?」「ちょっと立ち上げてみない?」みたいな類の仕事ってあるじゃないですか。どっちかというとそれのほうが――今誤配って言葉もあったと思うんですけど――非連続的な変化というか、会社を1歩上に行かせる要因になるなと思っているんですね。

それがオンライン時代はなくなるから、すべてが計画通りに進んでいって、手を挙げれるだけの経験がある年次の人はいいんですけど、新人さんが新しいところに「興味あるんで行けます」「行きたいです」って言うのって、オンラインだと至難の業だなっていうのを改めて思いましたね。

だからある程度偶然性なのかそれとも、「あ、このへんやりたいんだね。じゃ一緒にこれやってみようか」みたいな仕組みは作んなきゃいけないだろうなっていうのを改めて思いましたね。

鈴木 謙介(charlie):
なるほどね。いくつかの論点が――集団にとっての価値、あるいは集団のなかに誤配を生むみたいな話、そして個々人の関係性の生む心地いい距離感、いろいろとどの観点から見るかでバランスが変わりそうなので、1回曲挟んでる間にこのあとの展開考えていい?

ということで曲は佳奈女さんなんですけれども、これこそ俺は今月聴きたいよ。

村山 佳奈女:
これは今かけないといけない曲だと思ったので、主張させていただきました。

最近めでたいニュースとしてタイムラインを賑わせた、PUNPEE さん、秋元才加さん、ご結婚ということで。私が前に秋元才加さんがどこかで書いていたのでいいなって思ってたのが、将来の理想は配偶者のかたと一緒に暮らすんじゃなくて同じマンションで違う部屋で暮らすことって言っていて。こういう世の中になる前に距離感の適切な表現として、人には人の乳酸菌――じゃなくて臨場性、距離感みたいなものがあると思うんですけど、ぜひ PUNPEE さん、秋元才加さんは板橋のマンションを2部屋購入してほしいなと思いました。

それでは聴いてください。PUNPEE で「お嫁においで 2015」。

<曲>

〔Part 3 はここまで〕