出演者(登場順)
鈴木 謙介(すずき けんすけ、charlie)
野村 高文(のむら たかふみ)
近内 悠太(ちかうち ゆうた)
永田 夏来(ながた なつき)
速水 健朗(はやみず けんろう)
村山 佳奈女(むらやま かなめ)
矢野 利裕(やの としひろ)
海猫沢 めろん(うみねこざわ めろん)

* * *

鈴木 謙介(charlie):
こんばんは、鈴木謙介です。時刻は1時をまわりました。文化系トークラジオ Life。ここから朝の4時まで赤坂 TBS ラジオのスタジオから生放送です。

と言ってもですね、僕、実はこの赤坂のスタジオに来るのが2月の末以来ということで、久しぶりに新幹線に乗って東京に来ました。

実は今日ここに来るのもいろんな葛藤があって、その葛藤のなかに実は今もいるですけれども。ご存じのかたもいるかもしれません。小中高が再開されている一方で、多くの大学が今も閉鎖中で、前期、春学期はもう学生の登校はなしとというところも多いんですね。だから1年生で入学したばかりの子も、「対面でまだ人と会ったことがない」「学生同士で会ったことがない」「Zoom ではちょっとは会話をしたけど」、なんていう状態だったりして。

自分の大学の図書館も今は厳戒態勢で「借りる本を決めたら 30 分で出て行け」みたいな感じになってですね、自分の職場なのに。なのに今日は新幹線でやってきて、このスタジオで3時間マスクもせずに――アクリル板はありますけど――生放送でしゃべるっていうことで。

同じ社会だと思えないぐらいの基準の差が、温度差がすごい激しくて、自分でもどこに基準を定めて生きていけばいいのかも分かんなくなっていろいろ混乱もしてます。

こういうときに、あるじゃないですか。「そういうのはもう自分で決めたらいいじゃん。」。そうなんですよ。でも自分で決めたらいいですけど、それがなんで自分で決めるのに逡巡(しゅんじゅん)するのかなと思うと、自分で何かの基準を決めると、それが人を巻き込んでしまうからなんですよね。授業再開だって言ったら学生は嫌でも学校に絶対来ないと単位もらえない。一方で、「いやもうなんか、危ないから東京も行きません。Life 休みます。」って言ったらスタッフのかたとかにいろいろ影響を与えてしまう。

自分が何かの基準を取ってそれを一貫すると、関わっている人たちがそれの玉突きでいろんな影響を受ける。そういうところに自分もいて、おそらく今似たような形で会社と家庭とか学校とバイト先とか、いろんな矛盾した基準の板挟みになってるかた、いるんじゃないかなというふうに思ってます。

危ない・危なくないっていうのは社会が決める線引きなので、当然関係とか環境が変わったら基準が変わるっていうのは当たり前だと思うんだけれども、この体はやっぱり1つしかない。そこでそれぞれの基準に合わせていっちゃうと、どうしても自分の一貫性ってのを保つのが難しくなっちゃいますよね。

会いたくもない会社の人とは毎日会わざるを得ず、でも会いたい人には会うのを遠慮しないといけない、みたいな人も多くて。でも思いません? 会社では飲み会開くけれども、好きな人とは会いにも行けない。なんか変じゃないですか、やっぱり。

人と対面しなきゃいけない状況と、対面したいっていうことって、何か今の社会ではすごく混乱してるなあ、なんてことを考えたので、今日は対面で行うことと対面でなくてもいいことっていうのを挙げながら、そこに人がいる、そこに人がいてその人と何かするっていうことの意味を、みなさんと一緒に考えていきたいなというふうに思っています。

というこのトーク、実は1曲目にお掛けする曲のフリなんですね。コロナの期間の間に――僕は本当にインターネット全然見ないんですけど――YouTube をやっと観るようになりまして、そのなかで Sony Music がやってる「THE FIRST TAKE」というチャンネルが今話題になっています。アーティストさんが一発撮りというか、マイクの前で本当に生配信でお歌を歌いになるという企画なんですけれども。アーティストの存在感というか、一声しゃべっただけですごいなってなる人が何人か出てくるんですけれども。

そのなかで今日ご紹介したいのが SUPER BEAVER というバンドで、結成 15 年目にして2度目のメジャーデビューというのが今年の大きな話題になっているバンドなんですけれども。この SUPER BEAVER の6月 10 日発売のシングル、そして THE FIRST TAKE で披露された曲なんですけれども、予告編を見た瞬間、「ハーッ」と息を吸うところで映像が止まるんですけども、その息を吸った瞬間に息遣いから感じる臨場性が半端ないのね。人間がそこにいるっていう感じがするし、そしてその人が歌う曲の歌詞が「僕ひとりの話ならばこんな気持ちにならなかった 僕ひとりの話ならばいくつごまかしてもよかった」っていう、まさに今日言いたかったことを全部歌ってくれた曲です。

今日は音源のバージョンで聞いていただくんですけれども、歌い出しのアカペラから臨場感感じていただければなというふうに思います。

というわけで今日の1曲目、こちらからスタートです。SUPER BEAVER で「ひとりで生きていたならば」。

<曲>

鈴木 謙介(charlie):
文化系トークラジオ Life、今夜は赤坂 TBS ラジオのスタジオに僕鈴木謙介が久しぶりに戻ってきて生放送でお届け中。

さっきのパートでも少し話したように今日は人と会うとか、人と対面するとか、まさに今日の状況もそうだし、多くのリスナーのみなさんもいろいろとめんどくさい状況あるいは苦しい状況、あるいは楽な状況に直面しているじゃないかと思っております。

今日はテーマとしては「コロナ以後の『臨場性』を考える」というふうになってて、「臨場性」という言葉、聞き慣れないと思うんですけれども、たぶん新しい言葉です。「臨場感」ってありますよね。臨場感っていうのは特に工学技術の世界では、そこに人がいるように感じる感じ・感覚っていうのは臨場感っていうわけですけれども、この臨場感を与えるセッティング、場の状況みたいなものを臨場性――臨場感は心理の話だけど、臨場性は場の話――というふうに思ってるんですけれども。

人がそこにいる・いないみたいなことって――今日もオンラインビデオ会議のツールなんかを使って出演者のみなさんと繋いだりもしてるんですけれども――そこに人がいると感じられるかどうかでコミュニケーションのありかたってだいぶ変わってくるような気がします。

一方で、「でも昔から電話ってあったよな。電話と何が違うだろう。」みたいな感じもするし、コロナ以後人がそこにいるっていうことについて考える機会が増えたなと思っております。

僕らもそんな話をしていくんですけれども、リスナーのみなさんからも、「新型コロナウイルスの感染拡大を機にこれまで対面で行なっていたことをリモートでやる機会も多くなりました。そのなかで改めてやっぱり対面じゃないとできないなと思ったこと、また逆にリモートのほうがいいかもと思ったことを教えてください。」というテーマでメールを募集しております。メールアドレスは life@tbs.co.jp です。

対面のほうがいいかも、そうでもないかもっていう話はなかなかスパッと言い切れないところもあって。ラジオネーム・くるみナッツ。男性、大学院生、仙台市のかた。「地方の大学院生です。研究室で行なっているゼミが Google Meet を使ったリモートになりました。昨年までは就活などで東京に行っててゼミに参加できない人は Skype を使って発表すればいいよねと半分本気、半分冗談で話していましたが奇(く)しくも実現してしまいました。就活生に話を聞くと、面接もほぼリモートになり東京や遠方に移動する必要がなくなったので時間・金銭面で東京の就活生との差が縮まったのではないかと言ってました。一方で最近では東京の就活生は対面での面接が再開されたとのことで、また不公平感を感じているそうです。」

詳しいかたに聞くといろいろ事情は分かるでしょうけれども、対面での面接を再開するというのは対面じゃないとできない・分からないというところが面接っていうものにあったのか、場合によっては「当然来るよね?」という忠誠心を試しているのか。いろいろと難しいところもあります。

もう1通読みましょう。ラジオネーム・シャムの末裔、男性、50 代のかた。「私は 10 年以上寝たきりなので、コロナ下の前から人と接触することはほぼなく、コロナ後の世界でも正直生活に変化はありません。そんな臨場性に欠ける日々を過ごしていたなかで、コロナ下によって加速したオンラインによる対面通話や有料イベントによって、期せずして自分が感じる臨場性が向上する結果となっています。物理的な移動や対面を必要としないネットワーク上でのコミュニケーションが今後も一般的な選択肢となるならば、何らかの理由で外に出られない人が疑似的に臨場性を獲得できるチャンスなのではないでしょうか。」

このあいだ荻上チキ君の「Session」のほうに乙武さんと一緒に出させてもらったときに、乙武さんも同じことをおっしゃってました。さっきの「地方の就活生が東京の就活生と並ぶ」とかと一緒で、オンラインっていうことも含めて会わなきゃできないことの価値みたいなものっていうのが1回リセットされるっていう状況があるのかな、なんていうふうにも思いますし、他にもみなさんいろんな状況があるんじゃないかと思っております。

改めてやっぱり対面じゃないとできないなと思ったこと、逆にむしろリモートのほうがいいかもと思ったことを教えてください。life@tbs.co.jp です。番組中もどしどしメールをお寄せください。

さて今日は出演者のみなさんもスタジオに入ってくださってるかたとか、それからスタジオの外にいるかたも何人かいらっしゃるんですけれども、まずはスタジオのなかにいるかた。自己紹介と僕からの紹介と両方をまとめてという形で進めていきたいなと思います。

まずは NewsPicks エディターの野村高文さんです。

野村 高文:
よろしくお願いします。

鈴木 謙介(charlie):
[僕たち]対面、初めてなんですよね。

野村 高文:
今までオンラインで何度もやり取りさせていただきますけど、そういう人間関係って増えた感じしますよね。

鈴木 謙介(charlie):
「初めまして」がどこだったか、みたいな。

野村 高文:
しゃべったことあるし会ったことあるような気がするんだけど、対面初めてだ、みたいなという関係は最近増えたなって感じしますね。

鈴木 謙介(charlie):
そういえばそうかもしれないですね。僕は今野村さんのお声を聞いて、気付いたことが1つあります。アクリル越しだとね、やっぱり遠い。ちょっと臨場性落ちてる。

野村 高文:
たしかにそうですね。

鈴木 謙介(charlie):
声が何かをフィルターして聞こえた声で、これ Zoom の画面なんじゃないかワンチャン、ふうに言われても分かんないです。

野村 高文:
「Zoom 以上、対面未満」みたいな感じになったかもしれないですね。友だち以上、恋人未満みたいな。

鈴木 謙介(charlie):
そういうような状況っていうのもありがちなところですけれども、今日もいろいろと助けていただきつつ、臨場性というメディアに関わるなかではいろいろ考えざるを得ないお話だと思います。お話聞かせてください。よろしくお願いします。

野村 高文:
取材で感じることも多いですね。よろしくお願いします。

鈴木 謙介(charlie):
そして続きまして最近話題ですね。『世界は贈与でできている』という本が今話題になっております。教育者、哲学研究者の近内悠太さんです。初めまして。

近内 悠太:
よろしくお願いします。

鈴木 謙介(charlie):
こういう番組でこういう形で座ってお話になることってあります、普段?

近内 悠太:
今回の本がデビュー作なのでラジオに呼ばれたりも初めてで、本が出たらいろいろ著者としての仕事が増えたらいいなと思ったら、「全部今回の[対面の]イベントはキャンセルです」と。[でも]「近内さん、Zoom で 100 人集まっんたですよ」。「あそっか、画面越しにはいらっしゃるのか、みなさん。」っていうのがあったりして。

著者として本が出たりラジオに呼んでいただいたりっていう、僕のなかではそもそも何が非日常かが最近分からなくて。今日もここでしゃべらせてもらえるのが、ありがたいなと思いながらやってまいりました。

鈴木 謙介(charlie):
普段は教えてもおられる、私塾的なことを。

近内 悠太:
「知窓学舎」と言われてるところで中学受験と大学受験を指導してて、ただし合格を目的にしないという方針で。中学受験の内容って学ぶべきものとしてはそんなに悪くないですよね。意外と面白かったり、頭を使わせたり考える力が付いたり、コンテンツとしては非常にアリと。

ただそれを合格のためってやってしまうと本質的じゃない。解き方とか考え方じゃなくて、「こうすれば解ける。なぜかは知らんけど。」ってなってしまう。だから受験は目標にはするんだけども合格を目的にはしない。

あくまで受験に資するものを教えるという名目のもと、いろんな教養だとかを仕込んでしまおうというのが、僕らそれぞれの講師がそれぞれを結構やってるんですけども。塾長もそういうふうに任せてくれて、知窓学舎らしさを一人一人が講師として表現しているちょっと変わった塾ですね。

鈴木 謙介(charlie):
受験ハックみたいな感じがして、すごくいいですね。ちなみに僕の教え子が近内さんの本を抱えて、「昔の先生が本出してる」って言ってましたね。世の中狭い。

近内 悠太:
知窓学舎以外にも、高校で非常勤をやってたり予備校とかでも教えてるので、結構いろいろと接した生徒とはいるのかなと思うので。

鈴木 謙介(charlie):
そういう意味でもご縁があって、ここなのかなと思いますけどね。ご著書が「贈与」というキーワードで人との繋がりについて論じられている本だと思いますので、今日はご本の話も絡めつつ、リスナーのみなさんからもたくさんメールいただいてますで、それについてのコメントもいただきたいなと思っております。よろしくお願いします。

近内 悠太:
よろしくお願いします。

鈴木 謙介(charlie):
続きまして、スタジオでは僕のお隣りになります。兵庫教育大学・准準教授の、そして社会学者・永田夏来さんです。

永田 夏来:
どうも、こんばんは。

鈴木 謙介(charlie):
永田さん、さっき野村さんとしゃべってて思い出したんですけど、我々よくよく考えてみたら、「会ったことないけど知ってる人たちの繋がり」でてきてません?

永田 夏来:
そうでしょ。いつも facebook で見てるから全然久しぶりの気持ちはしないけど、会ったの考えてみると2回目とか3回目とか。

鈴木 謙介(charlie):
学者の業界なんて基本的にギスギスしてますから、僕コメント欄では久しぶりのかたと絡んでるだけど、絶対お互い友だち申請しないみたいな人、いますからね。

永田 夏来:
私のタイムラインは社交場になっているのですよ、社会学者は。絶対「お前ら仲いいの?」みたいな人たちがなんかイイネ!をお互い付き合ってるっていう。謎の場がインターネット上に展開されているっていうね。

鈴木 謙介(charlie):
最近は学者さんのインターネットを使う時間が増えたのもあって、僕はすごい勢いでたくさん学者の人ブロックしたんですけど。ちょっと心に悪いので。同業の人の話を毎日見るのは、ずっと職場にいるのと一緒ですごく心に悪いので。人が嫌いなわけではない、人が嫌いなわけではないですけど、かなりの人ブロックしました。

永田 夏来:
私はブロックしてないよね。

鈴木 謙介(charlie):
してないから、コメント欄書いてるんじゃないですか。

というような話なんですが、永田先生。ご専門は家族とか若者の恋愛とかだったりするので、その観点からのお話もありますし、そして近著がありますよね。

永田 夏来:
ありがとうございます。『音楽が聴けなくなる日』ですね。宮台先生と。すみません、先になんか共著とか出しちゃって。

鈴木 謙介(charlie):
全然特に何の問題もないので。師匠とどんどん本を出していただいて、イベントをやっていただいて大丈夫です。もう数年しゃべってないで。数年ってことはないよ、去年しゃべったわ。

永田 夏来:
それこそ facebook で見たわ。

鈴木 謙介(charlie):
なんですけれども、まさにエンタメとかね――僕もさっき YouTube の話しましたしね――最近はオンラインでしか音楽に触れる機会もなかったりしますし、そのへんの話も含めていろいろとうかがえることはあるかなと思っております。よろしくお願いします。

永田 夏来:
はい、よろしくお願いします。

鈴木 謙介(charlie):
そしてテーブルのちょっと離れたところに、向こう上面の解説席になるところになってるんですけれども、サブパーソナリティー、ライターの速水健朗さんです。

速水 健朗:
よろしくお願いします。

鈴木 謙介(charlie):
めちゃくちゃ遠いですね。

速水 健朗:
そうね、届かないよね。届きそうだけど。

永田 夏来:
もう臨場性がないですね。

速水 健朗:
ないですね。

鈴木 謙介(charlie):
臨場性もないし、地声かイヤホンから入る声かのギリギリぐらいの感じですね、今。

速水 健朗:
[ささやき声で]こんにちは。

鈴木 謙介(charlie):
ささやきいらないです、ささやきいらないです。

速水 健朗:
charlie 久しぶりだよね。

鈴木 謙介(charlie):
そうですよね。僕最初に冒頭にお話ししたように葛藤の状況にあるので、「会いたかった、みんな」という気持ちに今全然なってなくて。

速水 健朗:
会いたかった人にこそ、面と向かって話しづらい。

鈴木 謙介(charlie):
残念ながら面と向かってっていうよりは、そういう施設の面会に行った距離よりも遠いです。

速水 健朗:
何か刑務所に入ってる人みたいだね。

鈴木 謙介(charlie):
面会もできてないみたいな感じで、今一生懸命、僕手を振ってるんですけど。

速水 健朗:
届かないやつだ。

鈴木 謙介(charlie):
すごい臨場性ないですね。

速水 健朗:
ないですね。

鈴木 謙介(charlie):
その距離感でも同じスタジオの空気は共有しているので、僕のちょっと見落としがちなところも含めてフォローしていただくのもそうですし。

速水 健朗:
前回の Life はもっとなかったからね。

鈴木 謙介(charlie):
そうですよね。

速水 健朗:
スタジオに2人だからね。野村さんと僕、2人。

永田 夏来:
あれ、見てて心配になる。

鈴木 謙介(charlie):
僕、ささやきで入ってくるしね。

速水 健朗:
全てのボケがスルーされるっていう。

鈴木 謙介(charlie):
野村さん〜。

速水 健朗:
もうちょっと僕らは臨場感というか、場にいる人たちに話しかけてる感じでしゃべってるんだけど、1人しかいないっていうか。「Life、これ?」っていう感じ。

永田 夏来:
そうだよね。特にそういう番組だからね、臨場感大事だからね。

鈴木 謙介(charlie):
さっきのエンタメの話で言うと、サザンオールスターズのライブで誰もいない観客席を指して「アリーナ!」っていう、あれに近い。

速水 健朗:
あれができる人ってすごい限られてる。

鈴木 謙介(charlie):
見えてるでしょね、桑田さんにはね。

速水 健朗:
桑田には見えてる。俺レベルでは無理。

鈴木 謙介(charlie):
無理なのかな、どうなのかな。

永田 夏来:
できてた、できてた。大丈夫だった、大丈夫だった。

鈴木 謙介(charlie):
ぜひ今日は「いや、やっぱ臨場感あるなこの人」っていう面を見していって、他のかたがたが・・・。

速水 健朗:
一番苦手のやつだけどね。

鈴木 謙介(charlie):
じゃあ急にヌルっと臨場性を差し込んで・・・。

速水 健朗:
差し込むやつで。はい、お願いします。

鈴木 謙介(charlie):
よろしくお願いします。

今ラジオのスタジオっていうのは、スタジオとそれからサブっていうのがあって、サブというのは副調整室ですね。音量とかを調整しているところがあって、そしてスタジオの外側に向けてこのスタジオは窓が開かれているんですけれども、その開かれた窓のほうから、すごい勢いで仲間になりたそうにこっちを見ている奴らがいて。

ちょっとお名前だけご紹介させていただきます。作家の海猫沢めろん先生、それから元 Life 助手でプランナーの村山佳奈女さん。そして批評家、ライターで、教師でもあります矢野利裕さんが窓の向こうで仲間になりたそうにこっちを見ているので。

速水 健朗:
俺と矢野君、新刊がある。『ジャニ研!』っていう本を出しました。

鈴木 謙介(charlie):
新刊の紹介を――スタジオに人増やすわけにはいかないので――速水さんのほうから。

速水 健朗:
先週、大谷能生、速水健朗、矢野利裕で『ジャニ研!』の増補版『Twenty Twenty』、出しました。あと、海猫沢めろんも近著があります。

鈴木 謙介(charlie):
みんな、すっと近著を差し挟んだ。

速水 健朗:
海猫沢めろん、新刊です。これは講談社。

鈴木 謙介(charlie):
何ポジションになってるのか分かんないですけど。いつものスタジオだったら本当はそういう感じのポジションに黒幕・プロデューサーの長谷川裕がいるんですが、今日はスタジオにはいないということなので。

速水 健朗:
惜しい人をなくしましたよね。

鈴木 謙介(charlie):
なくさないでください。シャレになってないからやめてください、本当にもう。

というわけで、今日はスタジオも僕もいつもと慣れない感じで臨場性がどこまで保てるのかと思いながらやっておりますが。

そんななかで、この番組、大変スパルタな番組でございまして、近内さん。この番組ではゲストだろうがメディア出演初めてだろうが一切無視して曲紹介をしてくださいと言って――。

近内 悠太:
今自分がこの曲を選曲したって紙を急に渡されてですね。これはつまり読めってことでしょうか。

鈴木 謙介(charlie):
読んでもいいですし、語っていただいてもいいですけれども、ラジオですので最後にアーティスト名と曲名をおっしゃって振っていただけると、サブがここのマイクを落として曲をかけてくれるという。何とまるでラジオ番組のようなことができます。というわけで、ここからの時間、お任せです。

近内 悠太:
僕が選曲したのは恋愛の歌で、もうそこには存在しなくなってしまった2人なんだけども、歌われている描写のなかで人がいるっていう場が立ち上がってしまうというのを、すごく美しく歌っている曲で。すごく最近好きなアーティストで、かけれるならかけてほしいなと思ってたら、リクエストの選曲の1曲目に紙を渡されたので。Omoinotake で「惑星」。

<曲>

鈴木 謙介(charlie):
文化系トークラジオ Life。今夜は赤坂 TBS ラジオのスタジオから朝の4時まで生放送でお届け中。テーマは「コロナ以後の『臨場性』を考える」ということで、そこに人がいるっていう感覚についていろいろと考えなきゃいけない、そんな昨今。「やっぱり対面じゃないとできないなと思ったこととか、リモートでもいいやと思ったこととかを教えてください」ということでメールをいっぱいいただいております。

ラジオネーム・ミタニ、男性、岡山市。「今月のテーマ『臨場性』について。予告編を聞いて一番に思ったのは、『同じ釜の飯を食う』ではないですが、共通体験を通じて関係性が深まる感じはオンラインでも変わらないかもしれないなということです。オンライン・コミュニティーの企画でビデオ通話を活用して同じ材料を使って、それぞれの場所でフラワー・リースを作るなどのイベントに参加しています。そのイベントを越えることで発言のしやすさや人との絡みやすさなどの空気感が変わり、Slack での会話が増えるからです。誰かの発言を文字を見て、その人の声で再生できるようになってからが本番みたいな感じでしょうか。もう1つ、リアルとオンラインでのトークイベントの集中力も臨場性の観点に興味があります。イベントがオンライン化してきているので地理的要因で参加がなかなか難しかったものへの参加が容易になりました。午前中は関東の、午後は大阪の、そして夜は地元岡山のという参加スケジュールもめずしくありません。そのときに感じるのは、参加者の熱量は登壇者に届くのかということです。飲み物を取りに行くのもトイレに行くのも気軽で離脱がしやすいこともありますが、どうあれば伝わるのか、なんてことをよく考えます。考えた結果、オフラインなら小さくうなずくところを、大げさに頭を振ったりもしています。まるで自動車免許の試験のようです。逆に登壇者からしたらどのようなときにあの温まりを感じたりしますか。」あ、ごめんなさい、もう1つ。「毎週土曜日の朝にオンライン定期イベント『海辺の図書室』に参加しています。Zoom で接続し名前を読んでいる本に変えて、ただ読む時間。後半にコミュニケーションの時間もありますが、2時間はただ読むだけです。主催者から共有されるのは主催している宿の近くで録音された波の音、雨の音、鳥の声と、そこからの景色だけ。このイベントが本を読む習慣になっていると共に、知らない人がいて知らない本や知っている本を読んでいるのが見える、そんな普通の図書室のワンシーンみたいな薄い臨場感が心地よく、オンラインでもいいなと感じています。」

オンラインでもいけるんじゃね? という話なんですが、ひとつ面白いのは、Slack の文字を見るとその人の声が出てくるというやつで、それが参加者間で共有されてるとすごいなと思います。僕はよくしゃべるし圧の強い人間なので、「Slack の先生の書き込みを見ると先生の声で再生されます」ってすごい迷惑そうに学生から言われるんですけど。

永田 夏来:
私もよく言われますね。

鈴木 謙介(charlie):
しかも書いてる言葉としゃべってる言葉が全然違うのに、書いてる言葉用の僕の声があるんだと思うんですけど。

臨場性、そこに相手がいるって感じられるっていうのはやっぱり何らかのコミュニケーションの情報を積み重ねていって、自分のなかでそれを感じられるっていうところに大きなポイントがあるじゃないかなと。

言い換えると――[メールの]このかた「伝わった」って言ってるんだけれども――大事なのは伝わるかどうかじゃなくて、しゃべってるやつが伝わったなと思えるかどうかっていうことだったりしますし、「書き込みが私[の声として相手]に聞こえるな」っていうふうに「伝わったな」ってその人が思うことだったりするんじゃないかな、なんていうこともちょっと考えます。

もう1通読ましてしてください。オリオン座のペテルギウス、52 歳、男性、千葉県浦安市。「在宅で効率が良くなったのかというと、仕事の時間帯と家事の時間帯が重なるため、掃除機や洗濯機、キッチンからの炊事の音が気になります。私の場合は自室があったので直接は重なりませんでしたが、リビングで作業はお互い気を遣って難しいと思います。だったら在宅勤務前提で地方の一軒家に書斎を作る生活がいいのかもしれません。自宅は首都圏の賃貸ですが、給与とのバランスを見ると不相応で、地方でどれだけ安くなるのか比較したいです。地方では持ち家のほうが安いんでしょう。飲食業の家賃払えないニュースで月数百万とかびっくりです。便利にお金を払うということでしょうか。ドキュメンタリーの再放送を見る機会が増えて、誰も避けられない人間の死について考えざるを得ませんでした。働くって、生きるって何だろう。哲学を学びたくなりました。」

ということで、住環境も特にそうですし、地方といってもどこまでの地方かって話もありますけれども、すぐに引っ越すという人はなかなかいないかもしれませんけれども、長く続くと「これを機に次に住む家は」なんていうふうに考える人も出てくるかもしれません。

こんな感じで番組中にもどんどんメールをお寄せいただければと思っております。番組中にメールを読まれたかたがたにはホームページのイラストを描いてくれている、浅野いにおさんのイラストをあしらったものか、あるいは番組ロゴ入りの Life 特製バッジがプレゼントされます。バッジがほしいかた、メールのほうには送り先の住所と、どちらのバッチがご希望かもお忘れなくお書き添えください。今月もベストメール賞に選ばれたかたにはベストメール・バッジ、プレゼントしております。ベストメール賞は次回予告で発表しますので生放送中もドシドシメールお寄せください。メールのテーマ、「やっぱり対面じゃないとできないなと思ったこと、逆にむしろリモートのほうがいいかもと思ったことを教えてください」っていうことで、life@tbs.co.jp まで番組中もドシドシお待ちしております。

さてさて、どんどんメール読んでいきたいんですけど、みなさん、「これは」というもの何かありますかね? じゃあ、永田先生。

永田 夏来:
モアイマンボー、30 代、男性、宮崎県。「私は1月中旬に会社を退職したため、その直後は友だちと国内旅行等を楽しんでいましたが、そのあと徐々にコロナ下の緊急事態宣言体制に突入していくなか、自然と自宅での自粛の日々を過ごすようになりました。その間の人の付き合いは、基本的な会話は一緒に暮らしている母とだけ。たまに友だちや元同僚と電話や LINE でやり取りをするぐらいのものでした。ひとりで過ごすことを特に苦に感じないタイプでしたし、よく知った間柄でのコミュニケーションはオンライン上で特に問題も感じませんでした。しかしどうしてリモートではコミュニケーションをとることが難しい相手がいました。それは3歳と1歳児の姪っ子たちです。姪っ子たちは県外在住で我が家とは遠く、日頃会うのも難しいため、夏や冬に帰省するついでに1ヶ月ほどの間実家で一緒に生活していました。長期間一緒に行って彼女たちの思うがままに遊んであげるため、特に長女はとても私になついていました。私がトイレに行くにもついてきて姿が見えなくなると泣きながら探し回るくらいでした。しかしこのコロナ下なか姪っ子たちとも会える機会は LINE の画面上だけとなってしまいました。LINE が繋がると必ず第一声で「お兄ちゃんいる?」と聞いてくるのですが、そのごほぼ知らんぷりです。小さい幼児にとって画面越しの YouTube には夢中ですが、画面上での会話というのは親しい人でもあまり面白くないのでしょう。新型コロナウイルスは高齢者のかたに重症化リスクが高いため、お孫さんになかなか会えないという祖父母さんたちの状況もあると思います。小さい子どもたちにとって会話だけで関係を深めることは難しく、どうしても物理的なコミュニケーションは必要だなと実感しました。」

これ、あるよね。

鈴木 謙介(charlie):
そうなんですね。

永田 夏来:
たぶんなんだけど、リモートでできるところとできないところっていうのがおそらくあって、その区分っていうのが臨場性と関わるだろうなって思いますよね。ちいちゃい子はやっぱり言葉だけじゃなくて言葉以外のところでも雰囲気とか表情とかでもコミュニケーションしているから、オンラインでは難しいということが1つと、あと画面上の映っているものをうまく認識して「これが知ってるお兄ちゃん」だっていうふうに認知が結び付いてないだろうから、1歳とか3歳児とかだとね。そうするとコミュニケーションが難しいっていうのはあるだろうなと思いますよね。

鈴木 謙介(charlie):
そっかそっかそっか。言葉だけで僕たちがコミュニケーションしてると思いがちだけれども、いわゆるノンバーバル・コミュニケーションっていうのが特に言葉が発達してない子たちにとっては大きいから、このメールのなかでも姿が見えなくなると泣きながら探し出すってのは、本当にいなくなったって思っちゃいますよね、存在自体がね。臨場性がなくなっちゃうと、存在が消えたっていう。

永田 夏来:
そうそう。でも他方面白いなと思うのが、さっき charlie が読んでくれた Slack で言っている言葉が脳内で再生できるようになると、そっからがスタートですっていう話ですよね。[ラジオネームが]ミタニさんの話ね。それも私経験あって、読んでるんだけど声が再生されるぐらい相手のことよく分かってる人っていうのもいるし。その音声でのコミュニケーションていうのと書き言葉でのコミュニケーションって、ある程度、仲が深まっていくとシームレスになっていくというところもあるのかなと思ったりはするよね。

鈴木 謙介(charlie):
なるほどね。これは野村さん、ややジェンダー差があるような気がしていて、僕いまだに親からのメールにビビるですけどね。

永田 夏来:
それ、だいぶピュアですな。

鈴木 謙介(charlie):
この年になっても親からのメールにビビるんですけど、文字面っと肉声が合わなくないですか。

野村 高文:
そうですね。敬語を使われますよね、親からのメールって。普段は絶対に方言も含めてタメ語なんですけど、敬語を使われて、やたらかしこまってるなって感じがありますよね。

鈴木 謙介(charlie):
そうそう。父は敬語で仕事のメールみたいなのを送ってくるんですよ。

永田 夏来:
うちもそう。

野村 高文:
うちもそうです。

鈴木 謙介(charlie):
あれ、何なんでしょうね。すごい逆の臨場性ってありますよね、なんかね。

野村 高文:
たまにちょっと頑張ったような絵文字とかも混ざったりとかもするんですけど。

鈴木 謙介(charlie):
母親はハートマークとか付けてくるんですよね。これはこれでやりにくいですよ。あれ何なんでしょうね。文字面が持つ謎の臨場性みたいなのがありますよね。

野村 高文:
僕も charlie さんが最初に読んだメールは結構面白いなと思って、オンラインのトークイベントで参加者の熱量をどうやって使う伝えるのかっていうのは結構重要なポイントだなというふうに思いましたね。結構仕事柄オンラインのイベントのモデレーションとか、それこそインタビュー自体をーオンラインでやったりするんですけど、一番自分が磨かれたなと思ったのがやっぱりワイプ芸でして。

つまり、画面越しに「あなたの話に興味ありますよ」っていうふうにうなずきまくるっていうのが磨かれたと思うんですよね。そうじゃないとしゃべり手側って話がウケてるかウケてないのかって不安になるんじゃないかなって結構思って、そこがアフター・コロナ時代で行動として明らかに変わったポイントの一つだなっていうのは思いましたね。

鈴木 謙介(charlie):
そうなんですね。何せ僕は Zoom 飲みも参加したことないし、Zoom での取材は1回だけ受けましたけど、正直どうしていいか分からないので、僕はそういう画面取材を受けるとき絶対脇に置くんですよ、画面を。正面に置かないように絶対していて。普段から人と目を合わせられない人なので、たぶんすごい相づちを打たれてたら、たぶん目を逸らしていると思います。

野村 高文:
逆に圧を感じるみたいな。

鈴木 謙介(charlie):
臨場性ありすぎて。

永田 夏来:
オンラインでのやりとりに慣れてる人ってマイクの位置とかも結構ちゃんと考えてやりやすいように置いてあるなっていうふうに思いますよね。津田大介さんとかすごい上から撮ってたり。そういうやりかたってあるだろうなって思うけれども、でも私は結構コロナで取材が増えたほうですね。

charlie も関西だけど、私関西にいるんですが、関西にいるって知らないで取材申し込んできて、「始めから Zoom のつもりだったから[関西でも]全然何も問題ないです」っていう形での取材って結構増えているっていうのはありますよね。

鈴木 謙介(charlie):
[取材相手の]肩書き、読んでほしいですよね。

永田 夏来:
冒頭で読んでた[ラジオネームが]くるみナッツさんの話とかシャムの末裔さんの話とかって結構分かって、身体的な制限っていうのをリモートワークによって乗り越えられるようになった――物理的な制限とか――っていうところはこれからも活きていってほしいなと思うけれどね。

鈴木 謙介(charlie):
なるほどね、近内さん、僕はどちらかというリモートに不自由さを感じるタイプの人間なのは自分の圧が強いからだと思ってるんですけど、コミュニケーションをとるにあたって、今のところはネットワークを通じて得られる臨場感というか、「そこに人がいる感じですよね」っていうのに満足しているかたが多そうですけど、ここまで話聞いててどうですか。

近内 悠太:
じゃあ僕も1個だけメールを紹介しながらそれに絡めてお話を。モーレンさん、フリーエンジニア、30 代、男性、中野区。「臨場性とは少しずれるかもしれませんが、私が気になったのは移動がなくなったことです。仮に全てがオンラインで十分だとなってしまった場合、それは究極的に言えばどこでもドアがある世界です。思えば旅行に行くにもライブに行くにも移動中の楽しさがあったように思います。要は寄り道ができなくなったということかもしれません。寄り道がない人生なんてどこか味気ないですよね。結局リモートで十分だということが分かってもたまには『あえて対面で会いましょう』みたいなバランスの話になるのかなと思いました。」

僕この「寄り道」ってキーワードが気になったと言うか、想定外みたいなものって Zoom って結構起こりにくいんじゃないかなと思っていて。みなさん今年の年末とか忘年会で Zoom で飲んだり、あるいは忘年会がある程度集まることができたときに、「今年さ、最初の Zoom 飲みってこんなんだったよね」ってたぶん思い出話を語れると思うんですけど、Zoom が日常になったら思い出になるかなっていう。

例えば、些細な飲み会でも初めて行ったような居酒屋とかで飲んだら、ただ飲んだだけだけどそれは「出来事」になると思うんですよね。オンラインのものって出来事っていうノイズがすごく少ないような気がしていて。そこに何か臨場性というもの[があるのではないかと]。寄り道ってある意味ノイズですよね。行こうと思ってた目的地だけど、思わず立ち止ってしまう。

その「思わず」とか、場がもたらす「思わず性」みたいなものっていうのが、オンラインでは欠落してしまってるような気はしてるなっていうのがありました。

鈴木 謙介(charlie):
モーレンさんのメール、オモロイなと思ったのが、最近自分の学生とオンラインゼミをやってるときに、オンライン帰省の話になって。オンライン帰省って普通は帰省の帰るプロセスを省略して、親とビデオチャットみたいな感じで考えるじゃないですか。[その学生は]Google ストリートビューを使って、あえて高速道路からずっとのぼって行って、家の近所が見えてきたぐらいのところでちょっとホッとしたいって言ってて。まあそれはたしかにあるよなあ。

近内 悠太:
いちいち風景を見ながらってことですか?

鈴木 謙介(charlie):
なんか帰省って結局、どこでもドアでガチャッて開けてくれるとたぶん帰省じゃなくてただの通話になっちゃって。「帰・省」だからストリートビューを1個1個クリックしていって――めっちゃくちゃ掛かると思うんですけ――その途中経過を省略しないことであえてそれは帰省という行為になるんじゃないかと思って。それはたしかにそうだよなっていう。

行為にはいろんなプロセスとかノイズとか、雑なものが混じって全体を成立させてるから、省略しちゃうとうまくいかないって話。これも実は僕去年の時間消費に関する本で似たような話してるんですけど、だって「君とのデート、今日は3時間短縮して、効率的に終えられたね」って言う人いないわけです。引き算できないものっていうのが含まれているのが大事なのかなあ、なんてことを思ったりしますが。

永田さん、今の話でもう1つウケでちょっと気になるのが、オンラインの話が思い出に残らないっていう話は、ということは僕らのオンライン講義は残ってない・・・?

永田 夏来:
残っていないかもしれない・・・。それ私若干懐疑的なのは、例えば深夜のラジオとか中学校のとき超夢中で聴いてたけど、あれとかだいぶ記憶に残ってると思うよ。だからそれはオンラインっていうかどうなんだろね。音声だからっていうことだけなのかなっていう気はする。

自分は Zoom をやってて思うのは――charlie も前も言ってたけど――議論をするための仕組みだから、話を積み重ねていって何かゴールに行くっていうような形のコミュニケーションには向くのかもしれないだけど、気持ちを通じ合わせるとか、ノイズを乗せていくとか人間関係の親しさを作っていくっていうところにはちょっと弱いのかなっていう気はするんですよ。だからもしかしたら仕組みの問題かなっていうふうに思ったりはするかな。

鈴木 謙介(charlie):
野村さん、このへんは今会社のなかでもみなさん苦しんでいるところだと聞きますが。

野村 高文:
まさにそうですね。大人数に参加者がなればなるほど1人あたりの発言量が減るんですよね、オンラインの場合。1人が何かしゃべってると――例えば 20 人だとしたら――残りの 19 人はそれを聞いてなきゃいけない状態になっちゃうんで。

だから会社のミーティングでも声の大きい人がひたすらしゃべるみたいなことになりますし、新人が困ってるっていうのは本当そのとおりですよね。自分の発言機会が与えられないっていうところと、そもそも自分が 20 ぶんに分割されているうちの1区画でしかないので認識されない。

鈴木 謙介(charlie):
占めれないよね。

野村 高文:
占めれないんですよ。本来、歓迎会とかって主役になるはずなのに、それもなくなってしまって。

鈴木 謙介(charlie):
そうだそうだそうだ。それこそね、よくあるやつですけどね、新人がもう一人ひとり前に立って何かしゃべるみたいなのが、「前に立つ」っていう物理的なセッティングがないから。なるほどね、そのへんはちょっと面白いかもしれませんが。

今スタジオの外で元 Life 助手でプランナーの村山佳奈女さんが手を挙げているで、きっと会社のなかで何かあるんだよ。マイクを触らない、マイクロを。ポンポン言うから。ということでお話になれるのであれば、そっちから。すごい遠いけど。

村山 佳奈女:
そうなんですよ。Zoom 問題があって、今おっしゃってたみたいな新人が困ってるっていうのはたぶんあると思うんですけど、逆に偉いおっさんも新人も同じ面積であるっていうのは結構大事かなと思ってまして。結局仕事はジョブ・ディスクリプション型――何をやるかってことで人を雇うようになるんだっていうのに移行してるのと一緒で、偉さみたいな空気で伝えることがオフィスがなくなってくるとなくなって、何をしているか何を話すかがプレゼンスになってくるってことは Zoom 時代の今後の流れかなと思いながら、4掛ける4とかの画面を毎日見てます。

鈴木 謙介(charlie):
佳奈女さん、それって何ができるかで言われたら新人とか何もできないだけど。

村山 佳奈女:
たしかに。

鈴木 謙介(charlie):
しゃべれない・・・。

永田 夏来:
この話すごく重要で、今までだったらなんとなく会議でなんか存在感、体がデカかったりとか声がデカかったりとかで存在感ある人がなんとなく意見が通っちゃってて、中身があんまり吟味されてなかったっていうことも間々あったと思うんだけど、例えば女の子だったりとか体が小さかったりとか声小さかったりとかっていうような人たちであっても内容さえしっかりしてれば聞いてもらえる、順番が確実に回ってくるっていうのは、ある種の平等性っていうのを実現しているのねと思うけどね。

鈴木 謙介(charlie):
本当であればそうあるべきなんだけれども、今っていうのがちょうどその端境期(はざかいき)で、「っていうのが迷惑だから、さっさと対面に戻せ」という組織もいっぱいあるんじゃないかと思うんですけど。

野村 高文:
そうですね。さっきは村山さんが偉いおっさんという話をしたんですけど、この前営業の専門家に話を聞いたのが、これまで役員を対面のミーティングに連れて行くと、とりあえず誠意が伝わったと言うんですけど、オンライン時代では役員がいくら Zoom に入っていても、1区画でしかないので、しゃべんないと何の存在感を発揮できないと。だからその手法が使えなくなったっていうのがあって。ある意味平等性は担保されてると思うんですけど、その場でしゃべれない人っていうのはどんどん存在感がなっていく。

新人の場合で言うと、これまで以上に1対1のミーティングの時間を設けるとか、うまく会議のファシリテーションしてる人が、ラジオのパーソナリティーみたいに「振る」みたいなことが必要になってくるだろうなっていうのは思いますよね。

鈴木 謙介(charlie):
なるほどね。このあたりを僕も実はいろいろと考えていったりはするんですけど、たぶん2つあって。

今何人かのかたにお話していただいたのは1人1人の存在感とか発言とかっていう、要するにボールをどう転がしていくかって話で、もう1個はやっぱその画面のなかにいた人たちがどういう思い出を共有するかっていうほうの話ですね、近内さんが言ってたのは。

それに関してはわりと僕は意図的にエピソード記憶を作ろうとしていて、僕が工夫してやっているので言うと Zoom じゃないものを使ってるんです。疑似的に部屋が再現されていて、テーブルにつけるんですね。そうするとテーブルなんかを見ていると休み時間になると例えば男の子だけが男の子だけのテーブルに集まり出すんですよ。僕が全体チャットで「そろそろ始めるよ。再開するよ。」って言ったら、ワラワラワラって自分の机に戻っていくんですよ。

そういうのってどこにも書いてないものなんだけれども、何となく「そこに人がいる感」っていうのがすごく出てくるので、わざと画面だけじゃなくて教室のセッティングみたいなものを使うようにしているし、あと意図的に言ってますね。大学生にもなってどうかと思うんだけれども、始めの会と終わりの会をしていて。いわゆるプレゼンテーションに学生を1人呼んできて、「起立・礼・着席」って言ったらみんながチャットに絵文字を書き込む――ダーッて流れるみたいなやつをやってるんですけど。無駄に臨場性があるんですよ。

しかも特殊なことやってるじゃないですか。他の人たちはもうやってないじゃないですか。すごい言うのは「これ、本当に俺たち今人に説明できないことしてるよね。」。人に説明できない体験ってすごいエピソード記憶として「何て言っていいか分かんないけど、あれ」っていうふうに印象付くので、結構そういう工夫を入れながらできる限り「これが今何かをしている時間なんだ」っていうふうにすごい無駄な時間も――始めの会・終わりの会から超無駄な時間なんですけど――でもその無駄な時間をあえてスタートとエンドに入れたりしています、という話を思い出したですが。

今日コミュニケーションっていう話で、何をすると何が残るのか、何が伝わるのか、何ができるようになったのかって話、掘り下げていきたいと思ってるんで、スタジオの外の人とも入れ替えながらどんどんやっていきたいと思ってるんですけども、ここで1曲、曲を挟みましょう。ということで、野村さん。曲紹介をお願いします。

野村 高文:
何の曲選ぼうかっていうときに、めちゃめちゃ安直に選んでしまったですが、そういえば今日雨降ってましたよね、夜は止んでましたけど。たまたま今日外を出歩いていたので雨に結構降られたんですけど、ふと思い出したのがオンラインが全盛の頃、緊急事態宣言で自粛してた頃って、雨って気にしてなかったなと。

鈴木 謙介(charlie):
天気予報見てなかった。

野村 高文:
見てなかったですよね。ある意味雨って人間の行動を強引に変えるもの、傘をささなきゃいけないとか濡れない準備をしなきゃいけないっていうものなんですけど、当たり前のものというのは実はリアルな世界だけのものだったんだなっていうのを改めて実感したというものですね。

ということで映画『雨に唄えば』より「Singin’ in the Rain」。

<曲>

〔Part 1 はここまで〕