〔Part 3 からの続き〕
速水 健朗:
文化系トークラジオ Life。『コロナ下の「新・日常」を生きる』というテーマで赤坂 TBS ラジオから速水健朗がお送りしています。そして目の前には NewsPicks の野村さんと、ガラス越しで斉藤哲也さんと、そして電話ではずーっとね、メインパーソナリティーの鈴木謙介さん。
charlie:
リモートで失礼しております。
速水 健朗:
ずっと今日はちょっとウィスパーな感じ、charlie は?
charlie:
〔ささやき声で〕このまんま、なんとか終われそうです。
速水 健朗:
な、何を裏方的なことを言っているんでしょうか。
メッセージ1通、読みたいと思います。こちら初期のね、2006 年頃の常連リスナーのけっちさん。ラジオネーム・けっちさんから、いただいています。「新型コロナウイルスが日常を席巻して3ヶ月あまり経ちますが、コロナに関する考え方、一人一人違うんだなと思うことが多いです。我が家はプリンが余ったので同じマンションの高齢者にお裾分けしようかと私が言うのに対して、妻は絶対にやめるべきだと反対してきたり、保育園が登園自粛を求めたことに対してなんとかやりくりして自粛する人がいる一方、仕事がはかどらないからと子どもを預ける人がいたり。考えてみれば選挙では自民党に入れる人から共産党に入れる人まで考え方は様々ですが、政治的な立ち位置は普段の生活では見えにくかったです。今のコロナの日常ではいろんな場面で一人一人の選択が可視化されてしまいます。今の嵐のような毎日だと気付かなくても、しばらくしてコロナと長く付き合うようになったら一人一人の生き方があまりに違うのはしんどいかもしれないと思います。」というメッセージをいただきました。
たしかにね、今の状況の受け止めかたも人によって違うし、行動の仕方なんかも違うし住んでる場所によっても違うし考えかたも違う。それぞれに考えながらちょっとずつすれ違った日常を生きているようなところがあるのかなあなんて風に、charlie、思いますけど。このメッセージにちょっと思うところってあります?
charlie:
人の考え方はもともと違うんだけれども、それが行動の違いになって明確に表れたときに、今これから起きそうなのは監視ですよね。携帯電話のような道具を使ってそういうものを監視していこうというふうになったときに、これが今だと行動で見えちゃうからあれだけど、昔それこそアーキテクチャ論とかありましたけど、自動的に分かれちゃって、この地域に住む人はみんな何曜日しかスーパーに行かないみたいなふうに統制されていくと対立を見えなくなるんだけれども、社会の分断は進むみたいな。そんなちょっとディストピアな未来を想像しちゃいますよね。
速水 健朗:
なるほど、監視社会、一つのずっと Life でも取り上げてきたテーマではあると思うんですよね、行き着くところ。それは急速に相互監視みたいな形でかなり出てきたりとか、今の話は市民同士の監視なので、国家との監視、関係みたいなこととはまた全然違うフェーズのことが日本では特に起こっている状況なんかも――ちょっとこれ、もう時間はラスト迫っているんですが。
もう一人実は繋ぎます。こちらも Life レギュラーメンバー。ちょっとご無沙汰になっています。僕はちょっと電話したり、このタイミングでしたりしてて、今一番話を聞きたい人っていう感じでもあったので、このタイミングで繋ぎたいと思います。
千葉大学教授、科学史・科学技術社会論専門です。神里達博さんにお電話繋がっています。こんばんは。
神里 達博:
こんばんは、どうも。
速水 健朗:
どうも。
斉藤 哲也:
お久しぶりです。
神里 達博:
お久しぶりです。
野村 高文:
よろしくお願いします。
速水 健朗:
charlie もいます。
charlie:
なんか神里さんに今日はね一番話を聞きたいと思っていたことがたくさんあるんで。
速水 健朗:
じゃあ、charlie から聞こうか最初。
chalie:
ずっと科学者と社会のコミュニケーションの話をこの番組でもされていて、特に今回部分が大きくクローズアップされていると共に、やっぱ科学者のかたがたが、なぜか政治的な判断の最前線に立たされているという状況で、この状況どういう風に見てらっしゃるのかっていうのはちょっと伺いたいことなんですけれども。
神里 達博:
本当にもうまさに9年前に最初にこの番組に出させていただいたときが、まさに御用学者の問題が原発事故のあとに起こったというあのタイミングだったと思うんですけども、ある意味であの時よりもさらに構図が難しくなっちゃってるっていうのが政治と科学の複雑な問題だな、というのがまず私の感じですね。
一番大きな理由は9年前の原発事故と比べると、原子力っていうテクノロジーに関する専門性と、今回は医学とか公衆衛生学っていうところが専門性として表れるわけなんですけども、そのテクノロジーとして、サイエンスとしての、その専門性の違いが今の違いを作ってるんだなというのはまず思うんです。
速水 健朗:
その違い、難しいんですかね。
神里 達博:
単純に言えば、原子力は言ってみれば原子力の専門家が基本的に一枚岩だったんです。原子力村って言葉が生まれましたけど、要するにそれはみんな同じ村に住んでるんだって前提ありましたね、当時ね。その言い方が良いかどうかはまた別なんだけども、ともかくそういうふうに見えたということは間違いないと。
ところが今回お医者さんたちとか専門家会議の話とか、いろいろありますけど、毎日ワイドショーに出てくるお医者さんが違うこと言うわけですよね。
一番顕著なのは PCR 検査をどうするかってのが国民的な――そもそも PCR って 30 年前に自分がバイオの研究者だった時にもあって、普通にやってて。はっきり言ってたいした装置じゃないです。あれでみんなこんな政治的な問題だとすごくびっくりしちゃうんですけども。
ともかく、あれを巡っての判断が政治的なものと結びつきつつ、しかし専門家がいろんなこと言って、それがエア御用的な、どっちが御用なのかも分からないんですけども、そういう形で大論争になっていると。
それは当然なんですけど、私たちの未来、生活というのがどうなるかっていうことに、実は検査っていうのは深い関わりがあって、つまり私たちはどのくらいヤバいのかっていうのが、実は今この瞬間もはっきり言ってよく分からないところがあるんですね。
例えばヨーロッパとかアメリカとかだと、本当にたくさんのかたが目の前で亡くなってると。だけども幸いにしてというか理由はよく分からないとこもあるんだけど、日本ではそこまでの死者は出ていないと。いや、出てるんだけど実は隠蔽されているんだとかですね。肺炎は毎月1万人ぐらい亡くなってるとこに紛れてるんだという、そういう話もあるんだけど、そういうさまざまなデータの解釈自体が専門家によってなされる。ところがその専門家がなぜかさまざまなことを言っているので、専門家が専門家として機能しない。専門家が政治家として機能してしまうという。そういうすごく複雑な状況が起こってるんだけれども、これはうちの分野でいうと、科学技術社会論がずっと言ってきたことが、ものすごく顕著な形で出ていると私は観察してるんですね。
速水 健朗:
その「ずっと言ってきたこと」ってどういう――。
神里 達博:
要するに近代科学っていうのから政治を完全に切り離すことはできないんだっていう主張ですね。一見すると私たちは、近代という世界ではファクトの問題、事実の問題と価値の問題――政治の問題ですね――それは分けられるんだと。だから専門家が科学的な事実をアウトプットして、それに応じて政治家が判断するっていうモデルでずっと組み立ててきたわけですね。
だからこそ専門家は独立した存在として、客観的なことがあって権威があっていろんなこと言ってくれると。そういう風に信じてきたんだけれども、原発事故のときはその専門家と呼ばれる人たちはもしかしたら、ある種の国家的なプロジェクトとしてずっと組み込まれているがゆえに、完全な中立的な専門家ではないのではないかってのが、当時の御用学者論争だったわけだけども、今回はそれはもっと複雑な形になってそれぞれの臨床をやられてる先生からさまざまな研究者からグラデーションがあるんですね。
お医者さんってすごく自由な仕事で、原子力って言ってみれば国家と一緒にやってかないとあんまり食ってないような仕事の面があるわけですね。ところが、医者ってのは全然違ってて、免許さえあればどこでも食っていけるので、何でも言えるんです、みんなね。
非常に独立性が高いっていう仕事ってこともあると思うんですけども、ともかく医師会は例えば PCR の検査のセンターを作るぞって言ってるとかですね。そういうのを全部独立にやれちゃうわけです。そういうところが、それぞれの専門家といってもそれぞれに広い意味での政治性が当然あって、だからこそ医師会ってのもあるわけだし、厚生官僚の技官の人たちも考えがあるし、いろんな大学の先生も、そういう意味での立場とか専門性に絡む政治性みたいなものと無縁ではないのだっていうことをすごく今表してるんだなあとか、そんな風に感じてますね。
速水 健朗:
日本ではロックダウンではないですけど、非常事態宣言をどう解除していくかっていうときに、専門家の意見を取り入れていくかって話のなかで、今の話を聞いていくと、いろんな立場からいろんな人たちの意見が出てきて、今まで以上に収拾がつかなくなっていきそうな気もするんですか。それはどうですか。
神里 達博:
私ね、すごく危ないと思うんです。だから、今まで専門家の権威、原子力の問題だって原子力の専門家に聞いて結局いろんなことを定めるみたいなところでなんとかやってきたってことがあります、事故のあともね。だけど今はかなり意見が違うわけですよ、お医者さんによってね。
それこそ地域によっても違うし、どんな患者さんを診たかにも依りますしね。いろんなことが影響している。それで、とにかく一応専門家会議というのをを作って、そこに選ばれた先生たちがリードしていることになっている。特に「統計的な計算をされる先生とか8割に落とさなきゃいけないって言った、その科学的根拠は何なんだ」みたいなことをですね、別の数学的なモデルでもって反論するなんてことは Twitter でガンガン出るみたいなんてことになって。これでは専門主義によって政治的判断をするっていう、最後の水戸黄門の印籠みたいなものが全然機能しなくなっちゃってるわけですよ。
ほんとはもともとそういうもんなんです。だから特に公衆衛生なんて政治そのものの部分がいっぱいあるわけだから、政治と科学の間の複雑な関係、相互作用というのは、前提で実は仕組みを作らなくちゃいけなくて、非常に政治に近いところで仕事をする研究者と、非常に在野的なところでまた意見を言ったり、コミュニケーションをしたりするとか、あるいは学会の役割とか、全部それぞれに完全にどこが正しいというわけではないネットワークのなかで、本当は物事を決めていく仕組みで動かさなきゃいけなかった。
ですけど、古い権威のもので「政府が作った専門家委員会の先生は偉くて、その人たちの言っていることが正しいのでみんな聞きなさい」みたいなモデルがとても成り立つ状態じゃない。だから、そもそもコロナのこと、専門家も分からないんですから。全然専門家は素人が知らないことを知ってるからすごいんであって、素人が知らないことをやっぱり知らないですってことは、それは専門家として成り立たないわけですよ。
もちろん、何にも知らないわけではないんだけども、どこまで分かってる、ここまでは分かってってことを丁寧に説明しなきゃいけなかったし、もっと言えば、分からないことに関しては民主的に決めるしかなかったわけですよね、みんなで議論して。それをまとめるのが政治の役割なんだけど、そもそも政治家は今の見え方としては専門家に責任をとってもらいたい的なところにどう考えてもいってますよね。だからこれ、どうするつもりなんだろう。
charlie:
神里さん神里さん。その流れでいくとですね、政治の分野で今一番イッシューになっているのは経済の話ですよね。ヨーロッパでも結局経済か命かみたいな謎の天秤が発生して、最初は経済だと思ったけどやっぱり命だみたいな。イギリスなんかはそういう感じになったわけですけれども。ブラジルなんかはやっぱり経済だみたいになっていて。そもそもその両者が天秤にかかったときに、科学とか疫学のかただかってできることがむしろなくなってしまうんじゃないかと思うんですが。そのへんについては何か危惧されていることとかありますか。
神里 達博:
そもそも独立した問題でですね、経済って言ってる話でも結局経済によって死んでしまう人も現れると。仕事がなくなって自殺する人も出るかもしれないとかいう形でですね、人間ってのは経済がなくなって生きているような生き物じゃないですから。だからそういう意味では病気でも死ぬしお金でも死ぬんですよ、人間は。
死の重さというものを比較考量しますので、話は疫学者の専門じゃないわけです。だから本当は疫学者のできることじゃないんです、こんな話は。だからそれを疫学者とかですね、お医者さんとか感染症の専門家に「どうしたらいいでしょうか」って聞く時点で間違ってるんですよね、本当は。
これはもう単なる完全な政治問題ですよね。私たちの方針として、「何が原因で死んだか分からない死」というのがありますと。つまり「責任は誰に行くからはっきりしにくい死」というものと、「責任がかなりクリアな死」ってのがあると。でそうした場合、私たちはどうしても責任がクリアな死のほうを注目しやすいわけですよね。それは政治的にも正しいところもあるんだけど、そのバランスはあまりにも著しく乖離すると、長期的には社会が壊れちゃうわけですよね。
こういう話ってむしろ社会学者の仕事だし政治学者の仕事だしね。つまり専門家会議に入ってる人たちの専門性が狭すぎるんです、私の感覚から言うと。社会学者が一人入ってますけど、知り合いの先生ですけども、基本的に普通の医療社会学とかそういうところじゃなくての社会学者とか政治学とか、そういう先生たちが全然入ってないわけですね。みんなお医者さんと感染症と疫学と、そういうところの先生たちが分かるんだって決められるんだっていうモデルでやってるわけですよ。
せっかく官邸主導だって言ってるんだったら、厚生労働省に全部任せたらお医者さんとかそういうの医療系の先生が来るのは分かるんですけど、官邸主導って言うんだったら、いろんな先生を呼べるはずなんですけど、そういう問題の捉え方ができない、この政権はね。
速水 健朗:
なるほど。今の話だと、専門家会議、専門家が集められてそこで起こっていることを科学的に指標を出す人たち、そして政策決定をする人たちがいるんだけど、どっちも政治的にしかなり得ないんだっていう話だと思うんですが、その間に幅の広い専門家たちを入れるべきだっていうのが今神里さんの主張で、彼らの役割としては専門家と――いわゆる疫学であるとか医療の専門家なわけですけど、公衆衛生の――そこと政策決定者の間の人たち、今「幅の広い」って言い方してる、彼らの役割は何なんでしょうか。
神里 達博:
間にいる人たちの役割ということですか。それは医学的なファクトからどういう政策の比較考量とか、どういうリスクとどういうリスクが交換されるような現象なのかを分析してくようなことが必要になるわけですよね。
それはお金の場合もあるし、例えばアメリカなんかすごく言ってるのは、民主主義の危機だとか、正義の危機だとか、そういう考え方を、自由の危機だっていうところを彼らは考えているわけですよね。
速水 健朗:
なるほど、そうしたら自由とか民主主義の専門家も、この中に入って意見調整の一役割を果たすべきだと。
神里 達博:
果たすべきなんですよね。実際ハーバードとかですね、まさに倫理の研究所がハーバードにはあるんですけど、あそこの人たちがどういう戦略をするかと、レポートを出してるんです。一日に 600 万回 PCR 検査をすれば解放できるって言うんですよ。つまり、閉鎖をしなくて済む。だからものすごく大量の検査をし続ければ、必ず患者さんとそうじゃない人を分けられるから。そうやっていくことによって生活を元に戻すことができる、経済も元に戻すことができる。これはお金だけの問題じゃなくて、私たちの自由のためなんだと。民主主義のためなんだってそういう言い方は彼らするんですね。
でももちろん莫大なお金が掛かるんだけど、黙ってたって毎月毎月 1000 億ドルとかね、3500 億ドルだとかいろいろな計算がありますけれども、毎月毎月アメリカ社会は損してると。それに比べればよっぽど2年間ぐらいで 3000 億ドルぐらいぶち込めば全部できるんだと、検査は。そのほうがペイするからやろうって倫理学者がレポート出したりしてるんですよ、ハーバードは。
速水 健朗:
なるほどね。すいません。神里さん、ものすごく久々に神里さんのべらんめえで、圧縮した議論、もしこれ可能でしたら外伝で引き続き、ちょっと本編のほうで時間が――。
まだまだ聞きたいんですが時間になってしまったので、あの非常に専門家の――僕らが思ってる専門家ってもっと幅が狭くて、もっと広い専門家のなかでやれることはあるんだって話、非常に分かりやすく伺うことができました。
ちょっと引き続きね、この議論ちょっとどこかでさせてください、神里さん。どうもありがとうございました。
神里 達博:
失礼しました。こちらこそ、どうもありがとうございました。
速水 健朗:
はい。千葉大学教授、科学史・科学技術社会論専門の神里達博さん。
charlie、前回の震災のときの企画なんですけど、あのときの神里さんに来てもらったときのことをいろいろ思い出す――喋りかたで人を思い出すんだっていうね。
chalie:
独特の喋りかただし、説得力っていう意味では、何かこれってメッセージを出してるわけじゃないんだけど、すごい安心しますよね。
速水 健朗:
はい。番組も気付けば、あっという間に最終でね。ここから普通だったら charlie がまとめに入る部分なんだけど、僕にはそんな能力ないんで。
charlie、今日の〔放送は〕新日常だったのかなって気はするけど、いろんな話があったから。
charlie:
でも、この番組の進めかたとか、僕がこうやってボソボソしゃべってるのとかも、なかなかないと思うんだけど、改めて今日メールを外伝でもまだまだ読みたいんですけれども、やっぱりみんな「話を聞いてほしい」「私が思っていることは違うんだ」っていうのをすごいどこかで思っているんだなあって、思ったのがあって。
それは今日やってってもそうなんですけど、口上にも書いたんだけど、リモートやってると、やっぱ「話したいです」って言わないと話させてもらえないし、「何かありますか」って言わないと話を引き出せない、そういうもどかしさありますよね。このもどかしさを、なんとかすることができたら、もう少しみんなの気持ちが楽になるのかなあ、なんてことも強く思ったりもしました。
速水 健朗:
普段からこの番組たくさんのメッセージをいただいてますけど、番組中にもリアルタイムでいただいた人たちって、その話に乗っかってくるみたいな。本来であれば、出演者が多い状態でやるときは、「まーそれ、反論がある」みたいなものが飛んでくるなか、今日はちょっと大人しめで、charlie もささやきめでお届けしました。
斉藤 哲也:
ウィスパー系。
速水 健朗:
最後に振るのも酷ですけど、野村さん、いかがでしたか。
野村 高文:
そうですね、やっぱこの問題は改めてこの手紙の量が物語るように、もう全員当事者だなってことを思いまして、それぞれの人がそれぞれの課題を持ってる。だから、先ほどの今までその政治的な対立軸が見えてなかったところも見えてきてるっていう状況かなと思うんですね。
だから一個一個合意形成をしてかなきゃいけない。ここからまた始まってくんだなって改めて思いました。
速水 健朗:
合意形成というと非常になんか重いけど、みんな一丁噛みしてそのことを考えていくみたいな。番組形式も NewsPicks と文化系トークラジオ Life、融合という形で、意外とマッチングできたんではないでしょうかという気もします。
生放送でお送りしてきました、文化系トークラジオ Life。番組の放送内容を Radiko のタイムフリーでも、もしくはラジオクラウドでも配信します。
次回の放送は6月 27 日深夜1時からの予定です。
本日は朝まで生放送お付き合いいただききまして、ありがとうございました。ゲストも電話口のかたがたも、みなさんお疲れ様でした。このあと Life 外伝の収録の様子、ツイキャスで動画生中継しますので、まだがんばれるというかた、お付き合いください。
文化系トークラジオ Life、今回のお相手は速水健朗でした。それではまた次回。
〔Part 4 はここまで〕